多摩桜の丘学園高等部入学式がありました

昨日は都立多摩桜の丘学園・高等部の入学式でした。

肢体不自由教育部門には5名、知的障害教育部門には38名の新入生の生徒さんがご入学されました。みなさん、本当におめでとうございます。


生徒さんたちは少し緊張した面持ちでしたが、一人一人名前を呼ばれてしっかりと返事をし、一緒に校歌を歌うあたりからは楽しそうに笑顔も見られて、とても打ち解けた雰囲気のある素敵な入学式でした。新入生の言葉を担当された生徒さんたちも、みなさん落ち着いていて本当に立派でした。


多摩桜の丘学園の校歌は、歌いながら後半手拍子をするのでとっても楽しげです。手を叩く部分は気のせいか、歌声も大きくなるようです。

これから、生徒さんたちは今よりさらに自分で何かを選択し、自分で努力をし、自分で決めて進んでいくことが増えると思います。できることが日に日に増えていくことをきっと教職員の皆さんがしっかりとサポートして支えてくださるはずですので、恐れず、弛まず、成長して行っていただきたいです。

さて、都議会の机の上に持ち帰ったのは多摩桜の丘学園の山本校長が貸してくださった、水上勉さんの本です。


一昨日の島田療育センターでの入学式と2日間連続でお会いした山本校長とは、島田療育センターの成り立ちや、障がいのある生徒さんを支える親御さんのご苦労についてなどお話をさせていただきました。

島田療育センターは昭和36年に開設した日本初の重症心身障害児対象の施設ですが、重症心身障害児受け入れには医師や看護師などの専門人材を多数雇い続けるため、当初から大変な財政難の状況が続いていたということですが、特に当時児童福祉法では重度障害児が対象外であったため、社会福祉法人を設立することができず、財団法人であったことで補助金が受けられないだけでなく寄付に税金がかかってしまうので寄付金が集まりにくい、という事情があったようです。


これを受けて、自ら動いて事態を変えてみせたのが水上勉さんです。

昭和39年、自分自身も障害児の娘をもつ水上さんは、当時の総理宛に障害者保護を求める手記「拝啓池田総理大臣殿」を公表され、その3年後に重度障害児は法的に保護される存在となり、補助金も拠出されるようになったということです。


自分の子どもが重度障害児であった経験がない私は、そのような当事者の方やご家族の方からお話を伺う機会はあっても、実際にその大変さについては想像することしかできません。また、現実は想像をはるかに上回って大変であろうと思います。


生きるということの内容や意味は人それぞれに違うもので、どれも大変尊重されるべきものと考えます。

歩んでいく速さも一歩の大きさも、また進める距離も人によってちがうものですが、速ければいいとか遠くまで行ければ良いとも言うことはできません。その人なりのスピードで、その人なりの歩みをしていくことが叶う社会であることが大切です。


ご家族の気持ちをもっと知りたいが本当の意味では私はわからない部分が多くあります、と話したところ、山本校長が読んでみてくださいと持ってきてくださったこの二冊の本を、読んで自分なりに理解を深めたいと思います。


島田療育センターの河理事長はおっしゃっていました。学童の重度障害児は教職員の方達に毎日いろいろなことを教えてもらい、一緒に活動をして、本当にいい時間を過ごしています、けれども、本当はそのあとの方が人生は長いんです、と。20歳手前から、70歳をすぎるころまで、日中に何かできることがないと言う状態は大変つらいので、仕事や就労はできなくとも、何かやれることを考え続けて様々に活動をしています。と言うお話を伺って、都議会議員としてまた都民として、自分にももっとできることはないかと考えさせられました。