町田市子ども会議

日曜日。町田市民フォーラムにて、子ども会議を行います、と町田市の奥澤都議からずいぶん前にお誘いいただいたので、お祭りの合間に馳せ参じて参加させていただいて、非常にためになる、また学びや気づきもいただけた時間となりました。


参加していたのは、現職の公立校教師の方、元教育関連会社の方、塾運営者の方、スクールソーシャルワーカーの方、NPO法人主催の方、また保護者として子どもたちの公教育について長年思いをお持ちの方や若い学生さんの姿も。海外の公教育体験者や、国立出身者など、多様な参加者様たちのおかげで自分の狭い了見も随分と刺激や教えを与えられました。ありがとうございました。

奥澤さんの繋がりで、本当に素晴らしい熱い想いを持たれている方が集まっているため、ディスカッションや発表の時間が毎度足りずに予定を大幅に超えてもまだ足りない。2020年どころか、2030、2040を見据えて児童や家庭の多様化に日本の公教育がどう変容して行くべきか、という問題について非常に憂えている人がたくさんいるということは、現状の窮状を表している反面非常に頼もしいことでもあると思っています。私の体感した1980年代の公立小学校は教師の力が強く、子どもたちは様々なあり方で1つの教室の中に共存していました。効果や学力や点数・偏差値を重視して行くと、公教育の中では吹きこぼれや落ちこぼれといった上から下から抜け出てしまう存在がどんどんと手放されてしまうように感じます。それ以上をやる場合は公教育の外側で、ということで教育費はかさむ一方、家計の三大支出の1つになり、所得に占める割合も年々増加の一途をたどっています。公教育だけでは希望の進学が叶わないという危惧を背景に公立中学三年生では多額の塾代がかかり、親の所得格差が子供の教育格差につながっています。全員のゴールが同じであるという前提はそもそも無理があると思いますが、どうしてもマジョリティの要求する方向に議論が向かいがちなのも当然です。私の考えとしては、公教育の中にも多様なゴールを設定するべきでは、と感じています。アメリカの落ちこぼれ法と言われた911以降の教育改革は最悪の結果を生み出したと言われ、国語と算数のテスト結果が振るわない学校の教師たちは糾弾され、やる気を失い、離職をして生徒たちは置いてけぼりになりました。一律の設定では、生徒達の多様な才能や教師の熱意ある指導を押さえつけてしまう恐れもあります。職業訓練や才能教育、専門教育や専科訓練も含めて公教育の中で生徒達が自分で泳いでゴールを設定できるような設計ができることが理想であるように考えていますが、今日奥澤さんや参加者の方もいいことををおっしゃいました。

理想を語るだけなら誰でもできる。次回からは、実際どのように実現するかを実際の課題も踏まえて考えていこう。

ということです。その通りです。次回以降の町田子ども会議にご興味のある方、参加希望の方は、奥澤都議か、斉藤(saitoreinaownd@gmail.com)までご連絡くださいませ。

斉藤れいな(さいとうれいな)公式サイト

前東京都議会議員 斉藤れいなの公式ホームページです。