差別の解消は、人の生命を守ります
昨日、都議会では2020大会にふさわしいSOGI条例に向けて、SOGIハラをなくす国際水準の条例を目指そうとする集会が行われ、都議会議員も各会派から数名ずつ参加しておりました。都民ファーストの会 東京都議団からは、石毛さん、龍円さん、奥澤さん、斉藤が参加しました。その内容について、思うところも含めて記させていただきます。
労働政策研究・研修機構の内藤忍先生から、今年九月に東京都から条例案が提出されるオリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念実現のための条例について、いくつかの懸念ポイントが説明されました。
①差別の解消と理解促進は車の両輪であり、どちらか一方を進めることはできない。条例案には現時点で都の責務として、理解促進がうたわれており、差別の禁止が明記されていない。
②差別の定義について、広義のものと狭義のもので内容が大幅に変わってくる。「差別」の内容にハラスメントやアウティングは含まれているか?
③実効性についての懸念。罰則規定の有無や、相談窓口のみならず苦情処理機関新設の有無について検討するべき。また、当事者以外の家族や友人でも相談できるよう、相談窓口は「性的指向・性自認」の窓口とするのが良いのでは。
④条例にSOGI部分とヘイトスピーチ部分があり、それぞれに規制手法が異なる場合、属性が異なることによって平等のヒエラルキー化が起来てしまう。定義や規制手法を揃える必要がある。
イギリスで2010年に成立した平等法は全ての領域の差別を禁止する法律だと言うことで、この研究を進めて来られた内藤先生だからこその説得力ある視点が多数ありました。
続いて、私が衝撃を受けたのは当事者や当事者のご家族、ご友人たちのスピーチでした。
フェンシング元女子日本代表選手であり、株式会社株式会社ニューキャンバス代表、現在渋谷区男女平等・多様性社会推進会議委員等を務める杉山文野さんのお母さんのお話を聞きながら、葛藤と理解、挑戦と挫折を体験して来られた家族の姿が目に浮かんで来るようでした。以下、その内容を記させていただきます。
37年前、杉山家の二番目の子供に女の子を出産しました。2、3歳の頃は元気のいい女の子。歳を重ねるにつれて、小学校、中学校と進むうち、近所や周囲から「あの子は男の子みたいだね」「女の子なの?男の子なの?」と聞かれることが多くなっていた。制服のセーラー服も帰宅するとすぐに脱いでジーパンで出かけるから尚更。本人も辛かったはずです。男女のユニフォームの違いがない、と言う理由で始めたフェンシングで、大学の時に女子の日本代表になりました。成績や活動も立派に残して来たのに、就職の最終面接で彼は「うちではそう言う子がこれまで一人もいないので」と不採用になりました。本人は心底、辛くて悔しい思いをしたはずです。周りは話を聞けば大変だったね、わかるよ、と言ってくれます。けれどそれだけではどうにもならない世界がここにあるんです。これはいけないんだ、差別はいけないことなんだ、禁止すべきことなんだ、と言う形を一つでもどうぞ作ってください。次の未来の子供達の為にも、きちんとした決まりを。どうぞ、お願いします。
このお話を皮切りに、数々の当事者の方たちのお話を伺いました。
私自身、身近なところに当事者がいることが当たり前の生活を送って来て、カナダのトロントにたった数ヶ月ですがいた時には現地で数々の同性パートナーにお会いし、元々異性愛者だったのが同性パートナーと出会い共に人生を歩んでおられたり、様々な本当に多様な家族の形が自然と社会にあるのを見てそれがあるべき姿であると自然と受け止めていました。また、国内の知人友人の当事者たちも多いのですが、昨日の話を聞いていて、やはりとても強い姿ばかりを私は見て来たのかもしれない、と反省することしきりでした。
私の知っている当事者たちは強く、しなやかに、生き抜いて来たsurvivorたちであって、そうしたくてもできずに命を絶ってしまった方も多くいると言うことを改めて問題であると声を上げなければならないと感じました。負けて折れてしまったのは当事者の自己責任、ではありません。生まれながらの性自認や性的指向を否定され続ける社会を容認してしまって来た、社会の責任です。
傷つきやすく、繊細な当事者たちにとっては、日本に暮らすということは自殺を考えるくらい厳しい環境で生きるということなのだということが、皆さんの話を聞いていてわかりました。また、海外の同性パートナーと暮らしている企業人などが、例え誘致されても日本には来たくないと考えている人も多い、という事実も衝撃的でした。
差別というものは、目に見えないものです。
音声や動画で記録されていなければ、その悪意や刃にも似た攻撃というのはその差別を向けられた当事者本人にだけ深く突き刺さり、発した本人についてはなんら社会的にもお咎めなく済まされて来てしまいました。傷ついた当事者本人はその傷を自分の中に抱え、癒すこともできないまま、その傷が決定的に大きくなってしまった場合には命の危険もあります。命を落とすことはなくても、精神を病んでしまうことや、社会的に就業などの活動が難しくなる場合もあります。
交差点の話をしてくれた方がいました。
LGBT法連合会の方です。
やたら人がぶつかり合う交差点があるとすれば、そこでは「ぶつからないようにしてくださいね」という啓発だけではなく、信号をつけなければいけない。赤信号では止まる、それをルールにしないといけない。罰則で誰かを吊し上げるのではなく、誰かがぶつかり合って傷つくことがないように、社会の中にも交差点の信号のようなルールを作らないといけないんです。
というようなお話でした。
昨日の当事者の話でも特に多かったのは職場での差別、また採用での差別が顕著であり、就職ができないもしくは退職を余儀なくされた場合、住む場所や生命の安全にも危険が及ぶことが容易に想像されるということがありました。
普通の人として、学んで、働いて、好きな人と家族になって暮らしたい。
全ての性自認・性的指向の方達がその願いを叶えられる社会にならなければ、とてもこの人権尊重の理念は実現されたとは言えないでしょう。無理解や無知、無配慮によって、実際に命を落として来た人たちがいるということを、私たちは重く受け止めなければなりません。
全力で取り組んで参りたいと思います。
最後に勝間先生のスピーチでした。今後も、様々なお声を伺って参ります。
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